おわら風の盆(おわらかぜのぼん)は、富山県富山市八尾町(旧婦負郡八尾町)で毎年9月1日から3日にかけて行なわれている祭りである。
越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で、無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する。艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了する。おわら風の盆が行なわれる3日間、合計25万人前後の見物客が八尾を訪れ、町はたいへんな賑わいをみせる。
概要[]
起源と由来[]
- おわらの起源は、江戸時代の元禄期にさかのぼると伝えられている(『越中婦負郡志』)。それによると、町外に流出していた「町建御墨付文書」を町衆が取り戻したことを喜び、三日三晩踊り明かしたことに由来するのだという。
- 「風の盆」の名称の由来については、風鎮祭からともお盆行事から[1]ともいわれるが、はっきりとしたことはわからない。
おわらの11団体とおわら保存会[]
- 風の盆の行事を行なっているのは、「東町・西町・今町・上新町・鏡町・下新町・諏訪町・西新町・東新町・天満町」の10の旧町内と、それらの旧町内から移り住んだ人たちからなる「福島」の計11団体である。
- これらの11団体の代表者によって構成される「富山県民謡越中八尾おわら保存会」がある。このおわら保存会を「本部」、11団体を「支部」と称しているが、両者のあいだに上意下達の指揮命令系統があるわけではなく、風の盆の行事については、各支部が自主的に行なっている。なお、風の盆で、今町にある聞名寺境内で踊っているのは、地元以外の県内外から集まった「越中八尾おわら道場」の人たちであり、「富山県民謡越中八尾おわら保存会」の人ではない。
おわらの踊り[]
- 町流しは、地方(じかた)の演奏とともに、各町の踊り手たちがおわらを踊りながら町内を練り歩くものである。この町流しが、古来からのおわらの姿を伝えるものとされている。
- 輪踊りは、地方を中心にして踊り手たちが輪を作って踊るものである。
- 舞台踊りは、演舞場での競演会や、各町に設置される特設ステージで見られる踊りで、旧踊りや新踊りを自在に組み込んで、各町が独自の演技を披露する。[2]
- 「豊年踊り(旧踊り)」「新踊り」および「男踊り」「女踊り」については、越中おわら節を参照。
公式スケジュール[]
おわら風の盆のスケジュールを以下に挙げる。なお、開催期間中は市内に交通規制が敷かれ、旧町内の各地区で車の乗り入れが禁止される。また、雨天の場合は一切の行事が中止となる。トイレに行けないほどの人ごみでスリに遭う可能性もあるので貴重品はバックの中に入れたほうが良い。
前夜祭[]
- 本祭前の8月20日から同30日まで前夜祭が行なわれる。なお、同31日は本祭前の休みである。
- 前夜祭の期間中は毎夜午後6時30分から8時まで曳山展示館で、風の盆の上映会・踊り方教室・踊りの鑑賞会が行なわれる(有料) その後、毎夜交代で1町ずつ自町内にて、町流しと輪踊りまた舞台踊りを午後10時まで行なっている。なお土曜・日曜日は混雑緩和の為2町開催となっており、その担当日の順番は年により異なる。
- この前夜祭に限り、一般の見物客も町流しに参加することができる。
- 前夜祭期間中の最終日曜日には、午後1時から4時まで、おわらのど自慢大会が行なわれる。
本祭9月1日・2日[]
- 午後2時から4時まで、曳山展示館で、おわら踊り方教室が行なわれる(有料) その後、午後3時から各町で町流し・輪踊りがはじまる。公式スケジュールでは午後11時までとされているが、見物客の多くが引き上げてからも、明け方まで、地方と踊り手たちがおわらを続けている。なお、午後5時から7時までは夕食のため踊りは休止となる。
- 午後7時から9時まで、八尾小学校グラウンドに特設される演舞場で、演舞会が行なわれる(有料) 9月1日・2日の2晩に分けて町内の優美なおわらを見学することができる。なお、2006年のおわら風の盆では、9月1日に東町・諏訪町・鏡町・西新町・天満町、9月2日に福島・今町・上新町・下新町・西町・東新町の順で演舞が行なわれた。また期間中特設ステージが何箇所かに設けられ、そこでも舞台踊りを見る事ができる。
本祭9月3日[]
- 最終日となる3日目には、演舞会は行なわれない。
- 1日・2日同様おわら踊り方教室が行われる(午後2時から4時まで)
- 午後7時から各町での町流し・輪踊りがはじまる。この日も午後11時までとされているが、おわらの終わりを惜しむかのように、各町の地方と踊り手たちは明け方までおわらを続ける。
臨時列車[]
おわら風の盆が行われる9月1日- 3日には、大阪駅から福井駅・金沢駅などを経て越中八尾駅まで乗り入れる臨時特急「おわら」が2往復設定される他、富山駅 - 越中八尾駅 - 猪谷駅間で臨時の快速列車が昼から深夜まで多数(2008年は29往復)設定される。
また、特急ワイドビューひだ号の内、高山駅発着の列車が臨時で越中八尾駅まで乗り入れることもある。
宿泊と駐車について[]
- 旧八尾町中心部の宿泊施設は小規模なビジネスホテルや旅館が数軒しかない。祭りの間のみ臨時営業する民宿や、やや郊外の高熊地区に位置する会員制おわら観光リゾートホテルを合わせても1000人ぐらいしか宿泊できず、一泊3万円を軽く超える。そのため、観光客の大部分は富山市中心部のホテルや県東部の宇奈月温泉、遠くは金沢市等で宿泊する形にならざるを得ない。
- 車での来訪に際しては事前に駐車場位置を確認しておくことが望ましい。旧八尾町中心部には観光客用の駐車スペースがほとんどなく、また祭りの行われる時間帯は一切の車の通行が禁止される為、本祭の期間には祭りの行われる中心部から数km離れたところに臨時駐車場が数カ所設けられ、そこからシャトルバスが運行される。例年、案内表示を無視して中心部まで乗り入れ、交通規制が始まって立ち往生する観光客の車が多く見られる。
関連施設[]
- 越中八尾観光会館(曳山展示館) 上新町 - 「風の盆」の時期以外にも、毎月第2・第4土曜日におわらを見学することができる。また、毎年5月3日に同町で行なわれる越中八尾曳山祭に登場する曳山の常設展示場にもなっている。毎年7月中旬にはおわら保存会によるおわら演技発表会が行われる。
- 八尾おわら資料館 東町 - 川崎順二氏が蒐集したおわらに関する資料を常設展示している。
- 坂のまち美術館 上新町 - おわら絵師として知られる八尾出身の俳人版画家、林秋路の作品を展示している。
関連作品[]
- 高橋治の小説『風の盆恋歌』(1985年刊)が発表されると「おわらブーム」に火がつき、テレビドラマ・演劇化され、また石川さゆりの同名タイトル曲も発表され(1989年)、「風の盆」は全国的に有名になった。以来、ふだんは人口2万人ほどの山間にある静かな町に、「風の盆」の3日間に30万人ほどの観光客が訪れるようになっている。
- 内田康夫『風の盆幻想』(幻冬舎)、西村京太郎『風の殺意・風の盆』(文春文庫)、和久峻三『越中おわら風の盆殺人事件 - 赤かぶ検事奮戦記』(徳間書店)のように、ミステリ作品の舞台にもなっている。
- ミステリ作品以外でも、渡辺淳一『愛の流刑地』(2006年5月刊)の冒頭で、男が女に、ひょっとしておわらを舞うか、と尋ねる場面がある。また、五木寛之「風の棺」(『鳩を撃つ』新潮社に収録)にもおわら風の盆の描写がある。
- 岩河三郎により、「越中おわら」という合唱曲が作られた。
- NHK『みんなのうた』では、なかにし礼作詞作曲、『風の盆』という曲が菅原洋一の歌で放映された。
- 長谷川伸の戯曲、『一本刀土俵入』では取手宿の酌婦、お蔦が取的の茂兵衛に同情して故郷の母を想いながら、おわら節を口ずさむ場面がある。
その他[]
- 東京都墨田区で2004年10月に始まったイベント「おわら風の盆 in 向島」に対し、おわら風の盆の本場である富山市八尾町の越中八尾観光協会より「風の盆」の名称を用いることに対してクレームが付けられた。話し合いがつかないまま「おわら風の盆 in 向島」は2006年10月にも再び行われたが、同年6月に「おわら風の盆」は富山県民謡おわら保存会(当時)により商標登録されており、その後、墨田区文化観光協会HPにお詫び文が掲載された。
参照[]
参考文献[]
- 越中八尾観光協会編『越中八尾おわら風の盆公式ガイドブック』、同協会、2003年
- 『祭りを旅する3 東海・北陸編』、日之出出版、2003年
- 成瀬昌示編『定本 風の盆 おわら案内記』、言叢社、2004年
- 『日本の祭り12 中部2 おわら風の盆・吉田の火祭り・田立花馬祭り』(週刊朝日百科)、朝日新聞社、2004年8月22日号
- 『越中八尾おわら風の盆』、北日本新聞社、2004年7月
- 越中八尾おわら風の盆パンフレット
- 越中八尾おわら風の盆前夜祭パンフレット
参考CD[]
- 『越中八尾 おわら風の盆』 越中八尾観光協会 2枚組 おわら保存会本部と11支部の総勢110人による歌と演奏
- 『風の盆恋歌』 若林美智子 ビクターエンタテインメント おわら節の他、ポピュラー曲・オリジナル曲の胡弓演奏
関連項目[]
- 越中おわら節
- 八尾町
外部リンク[]
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