京都首都説(きょうとしゅとせつ)は、明治維新の後も日本の首都が京都から移っていないとする主張で、主に笑い話に用いられる詭弁である。
概説[]
この説の根拠となるものは、明治元年(1868年)に発布された『江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書』である。この詔勅の通称が『東京奠都ノ詔』であったとされており、これを元に「遷都は行われておらず、日本の正式な首都は未だ京都である」と唱えるものである。
「奠都」とは都を定めるという意味を持つ(とされる)単語で、これを根拠に都を移す「遷都」が行われていないため京都が依然首都のままであるというものである。実際、この詔勅の内容中では江戸を東京に改称し、明治天皇が移ったことを述べているものの、首都を東京に遷すということは書かれていない。
この説が唱えられるようになった時期は不明であるが、旧都としての自負や、明治以降の劣等感の払拭から発生したものと考えられており、現在でも一部で支持を得ている。
代表的な文句[]
- 「遷都の儀」が行われおらず、まだ首都は移転していない。
- 行われたのは「遷都」ではなく「奠都」であり、首都を移転させる詔勅は未だ発布されていない。
法的な日本の首都[]
現在の日本には、首都がどこであるかを厳密に定めた法令が存在していない。そのため、元より京都も首都であるとは限らないのである。1990年代から日本の各地方自治体が活発に行ってきた誘致政策も、「首都移転」ではなく「首都機能移転」の誘致となっている。
なお、京都市も首都機能移転誘致を行っているが、その京都首都説の観点から言えば「還都」であるという。
奠都という語について[]
一方で、奠都という語を巡っては、当時は遷都と同じ意味で使われていたのではないかという意見もある。明治28年に京都市が平安京誕生の1100周年を祝う行事において「平安奠都千百年記念祭」という表現を使っているところからもそれが窺える。
また、『東京奠都ノ詔』という呼称自体も俗称であり、曲解であるとされている。
ご当地ジョークとして[]
この説は地域間対立を含んだ一種のジョークとして捉えられており、しばしば京都の閉鎖性を揶揄したり、京都人の自虐に用いられる。
Wikipediaでは[]
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