Fandom

Japan

小倉祇園太鼓

521このwikiaの
ページ数
新しいページをつくる
コメント0 シェアする

広告ブロッカーが検出されました。


広告収入で運営されている無料サイトWikiaでは、このたび広告ブロッカーをご利用の方向けの変更が加わりました。

広告ブロッカーが改変されている場合、Wikiaにアクセスしていただくことができなくなっています。カスタム広告ブロッカーを解除してご利用ください。

テンプレート:統合文字 小倉祇園太鼓(こくらぎおんだいこ)とは、福岡県北九州市小倉北区で行なわれる。毎年7月に行なわれる。全国的にも有名な「祇園社の祭り」のひとつであり、福岡県内では、博多祇園山笠戸畑祇園大山笠と並ぶ「福岡県の三大祇園祭」と称されている。

ファイル:小倉祇園太鼓.jpg

概要 編集

祭りといえば・・・小倉祇園太鼓

祭りは7月第3週目の金土日3日間で構成され、ハイライトは7日土曜日の小倉城のある勝山公園内で行われる競演大会。町内会(大人組、少年組)企業の3つのカテゴリーに分けられ、毎年数十チームが競う。
なお、前日の木曜日には「歌の祭典 小倉祇園前夜祭」が九州厚生年金会館で開催され、有名演歌歌手のステージや祇園太鼓が披露される。

かつては企業の参加は認められず、その企業がある町内のチームとして参加していたが、現在ではその規制は大幅に緩和され、北九州市役所の各部局、JR九州JR西日本、一部の中学校などが参加し、以前とははかなり様相が異なっている。また、太鼓を載せた山車は子供たちが掛け声をかけて引いていたが、少子化により山車を引く子供が減ったため、競演会では据え太鼓部門が創設された。

以前の日程は、7月10,11,12日の三日であり10日は夕方から各町内をまわっていた。11日は昼に競演会が行われ、夜は小倉北区中心部で「太鼓広場」と称して各町内の山車が競い合うように太鼓を叩いていた。

近年は「保存会」と称して祭り期間にこだわらず、1年を通して活動している団体も多々存在するようになったが、一方で保存会の乱立の為、マナー違反が多々指摘されている。

歴史 編集

細川忠興小倉城築城に伴い、京都の祇園祭を取り入れ、小倉祇園祭が始まる。元々は、博多と同様の、山笠の祭りだった。

明治時代以降に現在の太鼓を打ち鳴らす祭りへと変化する。

小説富島松五郎伝映画無法松の一生として作品発表されると、知名度が上がる。そして、坂本冬美のデビュー曲・「あばれ太鼓」でも知名度があがった。

ちなみに、無法松の一生では「玄界灘」が登場するものの、小倉を始め北九州は響灘及び周防灘に面しており、玄界灘には面していない。

玄界灘と響灘編集

「玄界灘」の初出は江戸時代の辞書『書言字考節用集』(槇島昭武著1717年(享保2年)以前初版)。九州の「玄」つまり北の海を漠然と指す。日本海の一部で、大韓民国や日本の島根県、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県に面しており、広さは不確かだが約1万3千平方キロメートルである。韓国では「玄海灘」(ヒョネタン)と呼ぶ。何となく九州側から見た海を玄海灘という言葉を当て、中国地方毛利藩側から見た海を響灘と言うのが定着してきたのであろう。また、「響灘」は" ひぢきの灘 " が長い年月を経て〝 ひびき(響)灘〝 にかわったものであるという説がある。「昨日こそ 船出はせしか 鯨魚(いさな)取り 比治奇(ひぢき)の灘を 今日見つるかも」(3893 万葉集 巻第十七 読人知らず)古代ではこのあたりはひじき(海藻の一、食用)、わかめなどの海産物が多く採れることで知られ、これらの海産物が平城京(奈良の都)へ献上した記録が残っている。(奈良文化財研究所 木簡データベース参照)

後に、行政区分上名称に区切りをつけたため混同されるが、重なる領域があるのはこの理由からである。何となく九州側から見た海と言うことで玄海灘という言葉を当てているのであって特に目くじらを立てて「無法松に出てくる玄海灘は響灘」と言うほどのものではないだろう。(初っ端の若松帰りの松五郎の喧嘩の下りを若松北海岸あたりと考えれば玄海国定公園を指し間違いではなかろう。)

太鼓の打ち方 編集

「じゃんがら」と呼ばれるスリ鉦でリズムをとり、「カン」と呼ばれる派手な打ち手と「ドロ」と呼ばれる基本の打ち手で太鼓の両面を鳴らす。

掛け声は「やっさやれやれ」。

また、子供会などが運営する山車では、太鼓と同時に次の小倉祇園ばやしがうたわれる

  • 小倉名物太鼓の祇園。太鼓打ち出せ元気出せ。あっやっさやれやれやれ。
  • 小倉祇園さんはお城の中よ。赤い屋根から太鼓が響く。あっやっさやれやれやれ。
  • 太鼓打つ音海山越えて。里の子供も浮かれ出す。あっやっさやれやれやれ。
  • 笹の提灯太鼓にゆれて。夜は火の海小倉の祇園。あっやっさやれやれやれ。
  • 八坂祇園さんに揃うて詣れ。揃い浴衣でみな詣れ。あっやっさやれやれやれ
  • 関の先帝、小倉の祇園。雨が降らなきゃ金がふる。あっやっさやれやれやれ

(日程の変更に伴い、近年では歌われなくなっているようである)

服装 編集

本来は、「向こう鉢巻・尻絡げの浴衣、又は法被姿(その下は半タコ、又は股引)とし、白足袋草履とする」と決められている。しかし新しく作られた幾つかの団体は半纏であったりする。映画『無法松の一生』に見られるような、ふんどし一丁はあくまで映画の衣装であり、これが事実と思われていることは誤解である。

  • 祭りの元締めとなる組織では、近年、祭りを本来の姿に戻すべく、様々な規制策を取っており、祭りの参加者には上記の「正装」の着用を義務付け、それ以外の衣装を着用している者は祭りから締め出している。元締め組織も、各町や団体に対し、その旨を周知している。
  • 小倉に限らず、北九州市内の山笠祭りで締め込み(ふんどし)を着用する所は皆無である。筑豊地区でも締め込みになるのは飯塚祇園山笠、等、極少数に留まる。

関連項目 編集

外部リンク 編集


Anime_stub.png このページはウィキペディア日本語版のコンテンツを使用しています。オリジナルのコンテンツは小倉祇園太鼓にあります。執筆者のリストはページの履歴で確認できます。日本ウィキアと同様に、ウィキペディア日本語版の文章はCC3.0-BY-SAの条件下で再利用できます。
テンプレート:Event-stub

Fandomでも見てみる

おまかせWikia