Fandom

Japan

束髪

521このwikiaの
ページ数
新しいページをつくる
コメント0 シェアする

広告ブロッカーが検出されました。


広告収入で運営されている無料サイトWikiaでは、このたび広告ブロッカーをご利用の方向けの変更が加わりました。

広告ブロッカーが改変されている場合、Wikiaにアクセスしていただくことができなくなっています。カスタム広告ブロッカーを解除してご利用ください。

束髪(そくはつ)とは西洋婦人の髪形を真似て、明治ごろ「鹿鳴館時代」と呼ばれた時期に上流階級の女性の間に登場した髷の一群。

概要編集

明治十八年に、結髪に鬢付け油を大量に使う従来の日本髪が衛生上問題があり、不経済かつ不便で文化的ではないとして医師の渡部鼎らが「日本婦人束髪会」を設立。束髪普及のために配布したパンフレットによって全国に普及した。初期の束髪は自分で簡単に結ったり解いたりでき、洋服にも和服にも合う髪型として「イギリス結び」「マガレイト」「西洋上げ巻」等が考案された。

明治後期には、いわゆる「ア・ラ・ポンパドゥール」という王制フランスの宮廷で起こった流行の中で誕生した髪形の影響で前髪を高く膨らませる形が発展して髪全体がターバンでもかぶったように膨らんで見える「庇髪」へと変遷していった。狭義では束髪は小さな髷を組み合わせた庇髪を差す場合が多い。髷を高く持ち上げた「二百三高地髷」や髷先を隠した「行方不明髷」、従来の日本髪に近づけた「夜会巻き」も登場した。その一方で流行の常として結い方が複雑化するうちに、従来同様に、すき毛や整髪料を多用したり長い間髪形が崩れるのを嫌って洗髪をしないことが多くなりかえって衛生上に問題が起こった。

大正に入ると、庇髪の反動でボリュームを抑えた「女優髷」が登場、又、パーマネントを掛けた「耳隠し」が登場し、竹久夢二の絵画に影響を与えた。

昭和に入るとそのような西洋偏重の傾向に疑問が持たれ、大量の整髪料を使わず従来の日本髪と、ほぼ同じ型を簡単に結える「新日本髪」が発明され一種の復興運動が起こった。日本画の巨匠の1人で美人画に非凡な才能を発揮した上村松園はとくに日本髪の美を愛し、「耳隠し」「行方不明」などの束髪に使われる皮膚に危険な薬品や焼き鏝で髪を縮らせるパーマネントに疑問を投げかけている。

参考文献編集

日本髪#参考文献を参照。

Anime_stub.png このページはウィキペディア日本語版のコンテンツを使用しています。オリジナルのコンテンツは束髪にあります。執筆者のリストはページの履歴で確認できます。日本ウィキアと同様に、ウィキペディア日本語版の文章はCC3.0-BY-SAの条件下で再利用できます。

Fandomでも見てみる

おまかせWikia