腰巻(こしまき)
- 腰に巻く布状の下着 - 和服においては湯文字(ゆもじ)や裾除け(すそよけ)が該当;区別する場合は「下の腰巻」と呼ぶ。
- 安土桃山時代 - 江戸時代以前の高級武家女性の夏の正装、本項で詳述;区別する場合は「上の腰巻」と呼ぶ。
- 単行本・ムックなど出版物の下部に巻かれる、タイトルや価格、宣伝などが書かれた帯の別称。
歴史[]
戦国時代、それまで高級武家夫人の正装であった袿が廃れた後、武家女性は威儀を正すためと防寒のために上から打掛を羽織るようになった。しかし夏場は非常に暑かったため、腰の位置で打掛を紐で結び、上半身は脱ぐようになった。これが腰巻のはじまりである。高野山の塔頭・持明院にある「お市の方肖像画」に書かれている物がこの時代の代表的な腰巻姿である。
江戸時代になると江戸幕府により大奥の女性の服装に規定が定められ、他大名家においてもこの慣例に倣うようになった。それによる「腰巻」とは、着用期間は旧暦5月5日~9月8日、地色は黒で、「提帯(さげおび)」という特殊な帯に袖を引っかけて着用した。
江戸時代末期になると特別の儀式の時のみ使われるようになり、明治時代以降は完全に廃れた。
時代劇と腰巻[]
大河ドラマ・時代劇では腰巻を着用することは少なく、打掛が多い。以下は数少ない例である。
- 黒澤明監督による映画『隠し砦の三悪人』で姫君の衣装
- 1990年NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』第25回の天璋院
- 1998年NHK大河ドラマ『徳川慶喜』の徳信院直子
- 2003年のテレビドラマ『大奥』で和宮が花火を見るシーン
- 2008年のNHK大河ドラマ『篤姫』の天璋院
参考文献[]
- 時代衣裳の着つけ 増補改訂―水干・汗衫・壺装束・打掛・束帯・十二単(日本和装教育協会、源流社)P44~45
- 日本服飾史辞典(河鰭実英、東京堂出版、1969~79年)P103~104
外部リンク[]
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